歯学部創立の原点とその社会的意義
はじめに
東北大学歯学部は、1965年4月に創立しました。今年の2000年は創立35年目にあたります。1965年4月初旬に1回生の入学試験と入学式があり、最初の卒業生を1971年3月に輩出しました。(写真1・2)
2000年4月から、東北大学歯学部は改組され、東北大学大学院歯学研究科になりました。当歯学部を最後に、東北大学の全学部が大学院重点化に伴った改組が行われたのです。
写真1 — 東北大学大学院歯学研究科・同付属病院全景
写真2 — 昭和40年代に授業を受けた川内教養部キャンパスのチャペル
一方、東北大学歯学部附属病院は、1967年の11月に開院しましたが、現在は大学院重点化や国立大学の独立行政法人化の動きの中で、新たな病院の在り方を模索した努力がなされています。
ホームページを開設にあたって、東北大学歯学部、及び同歯学部附属病院の歴史を振り返るに、今回は当歯学部の創立の原点である当歯学部の基本理念・考え方を提起し実践の先頭に立たれた2人の先生を紹介します。
一人は荒谷真平先生(写真3)であり、もう一人は村井竹雄先生(写真4)です。
写真3 — 荒谷真平歯学部長
写真4 — 村井竹雄歯学部付属病院長
ところで、東北大学歯学部同窓会は、今から10年前の1990年4月15日に東北大学歯学部創立25周年および同窓会発足15周年の記念式典・祝賀会を初めて開催しました(写真5)。
ところが、その時、東北大学歯学部の創設にあたっての実質的な初代の学部長であった荒谷先生は体調が優れず出席出来ませんでした。しかしその時荒谷先生は、一通のメッセージを当時の同窓会会長・伊藤秀美先生(1回生)に送ってこられました。そのメッセージは、諸般の事情により、その記念式典の場で明らかにする事が出来ませんでした。
写真5 — 東北大学歯学部創立25周年及び東北大学歯学部同窓会設立15周年記念式典での佐伯政友歯学部長の挨拶
まずそのメッセージを紹介します。そしてそれを踏まえた東北大学歯学部、及び同歯学部附属病院の創設の原点を、荒谷先生と村井先生を通して振り返ります。
A.荒谷真平・東北大学名誉教授について
A- 1 荒谷真平先生からの最後のメッセージ
『どうも体調がよくないので申し訳ありませんが失礼させて頂きます。出席して形ばかりの挨拶をする代わりに次の提案をいたします。
この25周年を意義深いものにするために、この日を次の50周年へのCommencementにして下さい。その目標を何処におくか、それを具体化するために、この25年の反省を皆で総括してくれれば嬉しいです。
君たちが歯学部に上がってきた時に、学部長だった私は一つの挨拶をしました。そしてそれを一枚のプリントにして皆に渡しましたが、もし未だそれを持っている人がいたら、参考のためにもう一度読んでみて下さい。
今また、私が入学式の挨拶をするとしたら多分同じようなことを言うだろうと思います。
どうせ人間というものは歳をとっても大して進歩しないものです。
だから言葉は変わりませんが、それを裏づける内容は言う者もきく者も歳をとればそれなりに変わってきます。それが大事なことです。以上をお祝いとお詫びの言葉とします。皆さんに宜しくお伝え下さい。(1990年2月18日)』
A-2 東北大学歯学部の建学の精神
荒谷先生は東北大学歯学部を創設すべく、昭和41年に東京医科歯科大学を辞し、大きな希望と情熱を携えて仙台に赴任してきました。そして当時山本肇先生、青木健先生及び佐伯政友先生等の4名の教授によって歯学部の基礎が形作られたのです(写真6・7)。赴任後、荒谷先生は創設の原点である建学の意義を色々な形で残しました。当時荒谷先生が強調された内容は、以下の3点に凝縮されます。
写真6 — 1967年当時の歯学部本部での授業教室・旧鳥飼内科改造教室
写真7 — 1967年当時の歯学部の教職員
1.何故、今(昭和40年・1965年)、この地仙台の東北大学に歯学部を創設しなければならないのかを考えよ。
2.患者の苦しみを治す歯科医師たる前に、人間を癒すことの出来る人間形成に謹め。
3.科学的思考を持った明日の歯科医学を創造する考える歯科医師、歯科医学者の育成が本学・教育の基本である。
昭和41年11月、当時の1回生が歯学部の置かれた医学部・元鳥飼内科後の古ぼけた校舎へ最初に登校したその日に、荒谷先生は学部長として、“学生諸君に期待するもの”と言う挨拶を行いました。そしてその時の挨拶をプリントにして多くの列席者に渡しました。このプリントは前述した25周年の時に頂いた同窓会会長宛の手紙の中で述べているプリントと同じです。以下、そのプリントの内容要旨を紹介します。
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『東北大学歯学部が学生諸君に期待するもの(昭和41年度 歯学部専門課程への案内より)』
人間形成: 我々が期待している人間形成は、大学における人間形成、大学でなければ行い得ない人間形成である。それは言うまでもなく先ず学問を通しての人間形成でなければならない。つまりそれは学問をするという態度を身につけることであり、そこで得られる教養は事物を精密に見、誠実に考え、それを理論的に整理し把握してゆくという訓練の過程で自ら身につけてゆく教養である。
大学: 大学は普遍的な人類の幸福を希求する精神を基盤とし、真理を探求するという姿勢で、人類の文化を伝承し、その創造的開発を目指す一つの共同体である。
歯科医学: 歯科医学は言うまでもなく医学の一分野である。しかしそれが多くの国の大学に於いて医学部とは別に一学部を作っているのは、次の2つの重要な理由がある。その第一は歯科領域の患者がはなはだ多くて医学部出身の一部の医師だけではとてもその処置が出来ないこと、第二はそれらの患者に対する治療法が一般的医学のそれとはかなり異なった、しかも精緻な技術の上に立たねばならぬと言う点である。
東北大学歯学部の使命: 我々の目指す歯科医学教育は唯に今日社会で要求している歯科医師をつくるというだけでなく、むしろ明日の歯科医学をつくる歯科医師並びに歯科医学者を育てることに重点が置かれるべきと考える(写真8・9)。
写真8 — 1967年当時の吉田恵夫教授と1回生
写真9 — 1966年当時の東北大学大学祭に参加した2回生
明日の歯科医学: 明日の歯科医学は今日の歯科医学を否定する努力から生まれるであろう。虫歯と歯槽膿漏の予防は、我々の夢見る明日の歯科医学の第一の目標であるが、もっと身近な問題も沢山ある。
以上は唯思いつくままに2、3の問題を挙げたが諸君の努力と創意を期待している問題は沢山ある。
我々は次のことを諸君に言いたい。
現在の歯科医学が要求する技術、学問の修得と同時に、それを乗り越えて自ら考え、創造する能力のある歯科医師たることを志向せよ、と。
(全文は、東北大学歯学部同窓会会報 第23号、pp.104- 105、参照)
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B.村井竹雄・東京医科歯科大学名誉教授について
B-1 村井竹雄先生赴任のいきさつ
村井先生は初代病院長として、また口腔診断・放射線科の教授として、昭和42年6月に、東京医科歯科大学から赴任してきました。
東北大学歯学部付属病院は、昭和42年6月に砂田先生、前田先生、吉田先生及び村井先生の4名の先生が赴任して始まりました。そして昭和42年11月13日に当歯学部付属病院の開院祝いが行われ、スタートしたのでした(写真10・11)。
写真10・11 — 1967年11月・東北大学歯学部付属病院開院祝
村井先生は、『回想』(東北大学歯学部・25周年記念誌、pp.413-414)の中で、東北大学歯学部に赴任するにあたった経緯を次のように述べています。
『昭和42年の4月だったと思いますが、倅の件で2、3の教授に挨拶をしたいと考えて妻と2人で仙台市を訪れました。そのとき荒谷歯学部長、山本教授、佐伯教授お三方と、夕食の宴にお招き頂き、その場で東北大学歯学部に来て付属病院の新設に是非協力して欲しいと強く要請されました。当時、医科歯科大学の臨床教育はケース制度でした。このケース制は患者の人権無視に陥りやすい欠点と考え不満でした。それでお招き頂いた先生方に、東北大学に移る一つの条件として、口腔単位による臨床実習の実施に協力して下さるなら移る決心をしますと述べたのでした。このことが私が東北大学に移る決心にいたった最大の理由です。』
(1989年8月25日記)
B-2 村井竹雄先生からのメッセージ
村井先生は、5年次の最後の学期から6年次にわたって行う『臨床実習』を「一口腔単位制-ワンフロアーシステム」で行う「人間単位」の実習として位置付け、その先頭に立って実践しました(写真12)。
写真12 — 一口腔単位・人間単位の臨床実習–教授対診
その基本的考え方の詳細は、『歯科教育病院における口腔診断学と歯科放射線学』(昭和47年11月号、歯界展望40巻・掲載)の中に述べられています。
詳細は省きますが、簡単に要約すると、『「一口腔単位制の考え方」のもと、患者を「人間として治療」することの重要性が説かれ、またその具体化として「教授対診」に始まり、「総合面接試験」で終わる教育システムが提起され、更にはそれを歯科教育病院の中でどの様な組織として保障するのかに関しても、具体的には各診療科とは同列に付属病院長のもとに機能する「中央診断部構想」として展開されたのでした。』
また、『口腔診断の「学としての確立」にも着目し、『Oral Diagnosis』の重要性、必要性を説かれました。』
この様な荒谷真平先生と村井竹雄先生からの様々なメッセージは、東北大学歯学部の創立の立脚点を『考える歯科医の育成!』、『未完成教育!』及び『一口腔単位。人間本位の臨床教育!』と規定し、またそれらは『基礎研究実習』(写真13・14)『歯学概論』及び『人間単位の臨床実習』等として具体化・実践されたのです。それらは現在においても意義のある内容として輝きを持って受け継がれています(写真15)。
写真13 — 考える歯科医・未完成教育の一環としての基礎研究実習
写真14 — 口腔生化学教室での基礎研究実習を通した交流芋煮会
写真15 — 東北大学歯学部付属病院創立1周年記念
最後に
東北大学歯学部及び同歯学部附属病院の創設の原点を、荒谷先生と村井先生を通して振り返りましたが、両先生を歯学部の表の顔とすると、縁の下の力持ちとして昭和40年前後から歯学部創設のため活躍されたのが前田栄一東北大学名誉教授でした。
前田先生の当時の活躍の一端を2枚の写真(写真16・17)を通して紹介し、このページを終わります。
(文責 8回生 斉藤隆夫、2000年11月吉日)
写真16 — 昭和40年4月、本学1回生の入学試験場での前田先生と徳植先生 当時定員40名に対して592名が志願し倍率は15倍 しかし実際の受験者は351名、入学者は35名でした
写真17 — 昭和39年12月28日、臨時閣議で当歯学部設置が決定したお祝いのスナップ 元医学部長の本川先生、前田先生、そして須田元看護部長